「失敗……作……!?」
神奈様の胸を貫く母君のお言葉。そのお言葉はとても人に対して発するお言葉ではなく、まるで陶芸や鋳造に失敗した物に対して放つお言葉でした。
「物と等価値に扱われしことが、そんなに意外ですか?」
「は……母君何を、何を言うのだ……」
誰でも失敗作などと呼ばれれば、少なからずお心に負の感情を抱くのが普通でございましょう。されど、神奈様の母君はそれを意外と感じられていらっしゃるようです。それとも、人と物とを等価値とお感じになられるのが元来の翼人なのでしょうか……?
「物と人との違いは生が有るか否かだけの違い。それは単に個々の物体を形成している原子の割合が違うだけで、人も物も原子から造られているのに変わりはない」
原子、という耳慣れぬ言葉。神奈様の母君は人も物もすべてその原子で作られていると語ります。私や神奈様、柳也殿も神奈様の母君の言はまったく理解出来ませんでした。
「未知の現象を神などというこの世界の何処にも存在しない者の事象として捕らえ、その空想のものを信仰する新人類。貴方達に人類の言葉はまだ理解出来ないようね」
「理解出来なくとも構わんよ。新人類という言葉も気に掛かるが、それよりも気になるのは『ヒトと交わりし子』という言葉。この言葉と今の言葉から察するに、神奈の父は貴方のいう”新人類”なのか?」
「ええ」
「父君は翼人に非ざる人……? 母君! 父君は、父君はどのような人なのだ!?」
思えば神奈様は母君のことを口に為さったことはございましたが、父君のことを口に為さったことはございませんでした。今の反応から察するに、神奈様はご自分の御父君が人であることさえ存じ上げなかったのでございましょう。
「神奈、貴方の父は阿弖流為という人よ」
「阿弖流為……?」
神奈様の父君なのですから、人とはいえご高名な方なのでしょう。されど、その阿弖流為という方は、少なくとも私が聞いたことはない名前でした。それは反応を伺う限り、神奈様も同じなようでございます。
「阿弖流為。古き文献で名を聞いたことがあるぞ」
「真か柳也殿!?」
「然り。阿弖流為とは確かみちのくに住まう蝦夷と呼ばれし者達の長……」
みちのく、それは吾妻より更に北方に広がりし地。その地は朝廷の権力さえ及ばぬ地であると言われています。
「確か京の都を築きし桓武帝と対立し、そして処刑された者であったな。それは今から二百年程前の話だ。神奈の年を考慮しても同時期だな」
「処刑か。余の父君はもうこの世におらぬのだな……」
ようやく分かった父君の名。されどそのお方は既に無き人。その事実に神奈様は、悲しみを感じられたようでございました。
「然るに分からぬ。何故そのような者が神奈の父君なのだ?」
柳也殿が疑問に思いしことは、恐らく神奈様の父君が蝦夷と呼ばれし者だということでございましょう。確かに、神奈様の父君のような方がそのような者であるのには違和感を抱かずにはいられません。
「何故毛外の地に住まう民と結んだのかという顔をしているわね。確かに現朝廷にとっては支配地域の及ばない地ね。元々かの地はこの月讀が統治を任された地だから」
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巻十一「嘗ての人月讀」
「月讀が統治を任された地……?」
「そう。我等が父である伊耶那岐がこの地に降り立ち、三人の子供にそれぞれ統治を任せたのよ」
神奈様の母君の話は続きます。元々伊耶那岐命はこの地より東方に広がる今は無き地に住まう民だったといいます。今から約一万千年前に天変地異が起こり、その地は海の底へと沈み、故郷の地を失う形でこの地に移り住んだと言います。
そして降り立った当時文明すら存在していなかったこの地を自分の子供達に統治させたといいます。
「姉君は日向の地を、弟の須佐之男は出雲の地を。そしてこの月讀はみちのくの地を任されたのよ」
思えば神話では月讀命に関して詳細な伝説は語られていません。それは皇祖神である天照とは違う地域を統治し、そして天照に対して国譲りをしなかったからなのでしょう。
「成程。やはり神奈の祖先は月讀命だったか。然るにならば神奈の母君は皇族と同格の存在。そのような止む事無き方が、蛮族の長と契りを結んだというのはやはり腑に落ちぬな」
「朝廷から見ればみちのくに住まう者共は蛮族かもしれないけど、この月讀にとっては同じ新人類に過ぎないわ。新人類などと交わりたくはなかったけど、この月讀以外に人類がいなかったから、仕方なく新人類と交わったまでよ」
「仕方なく……!? 母君は父君を愛しておられなかったのか! 故に余をあのような場所に閉じ込めておったのか母君!!」
愛さぬ者との間に生まれし子供故、自分は月讀宮などという場所に幽閉されていたのではないか? そうご自分の母君の愛情に疑問を抱きし神奈様は、母君にご自分のお気持ちをぶつけました。
「愛か……」
神奈様の母君がそう仰られし刹那、信じられないことが起こりました。驚くべきことに、つい先程まで私達のお側にいらした柳也殿が、何時の間にか神奈様の母君に捕らえられたのです。
「なっ!?」
常人の数倍の速さで動ける柳也殿も、自分の置かれし状況がご理解出来ず、ただ絶句するのみでした。
「はっ、母君何をするのだ!?」
突然柳也殿がご自分の母君に捕まられしことに神奈様は驚き、悲痛なお声で母君に問い掛けました。
「ちいっ、何をする! ぐっ、か、身体が動かん……」
「先程脳の一部を麻痺させた。今の貴方は思考することは出来ても、身体を動かすことは叶わないわ」
「は、母君、柳也殿に何をするのだ!」
「その焦りよう、神奈、この姉君の子孫が恋しいのですか?」
「っ……」
母君にご自分のお心を探られ、図星を突かれたからなのでしょうか。神奈様はお言葉を失い、顔を赤らめました。
「これが貴方達新人類が愛と呼ぶ物ね。異性に特別な想いを抱く感情。多くの生命体が持ち合わせている感情。人類はその感情を否定したけど、新人類は未だに持ち続けている。我々より早い段階で文明を持ち合せたというのに、心などと呼ばれている脳の一部分は未熟なままなのね……」
次の瞬間、また信じられぬことが起こりました。先程神奈様の母君に捕らえられていたと思いし柳也殿が、何時の間にか私達の元へ戻っていたのでした。
「一体、一体何が起きているというのだ!? 我以上の速き動きで行ったのか? いや、それならば少なからず気配を感じられる筈。されど我は何も感じず神奈の母君の前に移動し、再び何もせずに元の場所へと戻っていた……」
「人の刻を止めたのよ……」
柳也殿の疑問に答えるかの如く、神奈様の母君が口をお開きになりました。
「刻を止めた? どういうことだ……」
「貴方達、この空域に足を踏み入れた時、違和感を抱かなかった? 普段より身体に疲れを感じるような」
それは神奈様を除きし皆が感じていたことでした。この仰られよう、恐らく神奈様の母君はその原因を存じていらっしゃるのでしょう。
「あれは人の刻を感じる感覚を狂わせていたのよ」
「っ……!?」
「具体的には十日を一日を感じるように。されど、狂わせていたのはあくまで刻を感じる感覚のみ。身体の他の細胞までは狂わせていない。だから普段より疲れるように感じていたのよ」
十日を一日と感じる。それは丁度神奈様の刻の感覚です。ですから神奈様は私達が疲れを感じていたのに対し、疲れをお感じになられていなかったのでしょう。
「今貴方に施したのはそれの応用。つまり、人の刻を感じる感覚を一時的にまったく感じなくしたのよ」
人の刻を感じる感覚を狂わせる。それは最早人間業ではありません。柳也殿とはまた違ったお力なれど、それは神なるお力としか言いようがありません。
「先程も言ったように、神などこの世のどこにも存在していませんよ」
「!?」
今の神奈様のご発言、それはまるで私の心を読み取り、それに応えているかの如くでした。
「新人類が俗に言う心は、この月讀には読み取ることが出来るのよ」
「……」
どうやって心を読んでいるのかは分かりません。されど、ならば神奈様の母君には口を聞く必要はないのでしょう。
(神奈様の母君にお聞き致します。畏れ多くも神奈様の母君はどのようなお力をお持ちになり心を読まれているのですか……?)
それならばと、私は心の中で神奈様の母君に対して疑問を投げ掛けました。
「貴方達は、どうやって刻を感じているか、喜怒哀楽のような感情がどうやって発生しているか知っている?」
それが私の疑問に対する神奈様の母君の答えなのでしょうか? どのように刻を感じ、感情を表すか。そのようなこと私には分かりません。
季節の移り変わり、昼夜の違いなどで時間の感覚は掴めます。自分が喜んだり悲しんでいたりするのも、冷静でいられれば自覚が持てます。
されど、それらがどのような作用で起こっているのかは分かりません。
「私は知っているのよ。人のあらゆる感覚、感情などがどのようにして発生しているか。それは人だけではない。我々人類はこの星の全てを知っているのよ」
「星の全て? どういうことだ?」
「貴方達新人類はまだ知っていないのね。この大地、大気が広がる空間は、太陽や月をも含めた星と同じことを」
大地が星と同じ!? あの夜に輝く星々と私が生活を営んでいるこの大地とが。その神奈様の母君のお言葉を、私はとても信じられませんでした。
「正確には違いがあるけど、この大地と大気に囲まれた空間が星であることには変わりはないのよ」
何故そのようなことが分かるのでしょう? この大地が星々と同じであることなどをどうやって?
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「分かろうとした、いえ、知りたかったのよ。人の身体の仕組みや、世界がどうやって構成されているか。
貴方達新人類は何故かそれをしようとはしない。中には知ろうとしている人もいるみたいだけど、多くの者は知ろうとはせず、未知なる力は神の所業だと思考停止する」
それは私が柳也殿のお力を神のお力だと思いしことに繋がるのでしょうか? 確かに私は柳也殿のお力を神のお力だと思い、どのような方法でそのお力を発生しているかを考えるまでには至りませんでした。
「貴方達新人類は、暴風や日照りなどを神の怒りなどと解釈して、神の怒りを鎮めようとする。貴方達新人類は何故か神の存在を信じ、それ故未知の現象を神の所業とし、思考停止する。
けど、我々人類は神を信じなかった。神を信じず、世の中のあらゆる現象には何らかの力によって起こされていると思い、その力の解明に全力を注いだ。
そして数万年の刻を重ね、世の中のあらゆる現象の全てを解明したのよ」
「数万年? それはどれ位の月日なのだ!?」
「新人類が誕生したのが四万年前。新人類が文明というのを持ち始めたのが五千年前。対し、我々人類が誕生したのが二十万年前。文明を持ち始めたのが十万年前。そして現象の解明を終えたのが五万年前よ」
それは途方もなく長き刻のように感じました。翼人と呼ばれし者達は今の人々が生まれる遥か昔に生まれ、そして私達が生まれる前には世の中の全てを理解していたのです。
「然るに、旧人類が誕生してから文明を持ち始めるまで十万年の刻が必要だったのに対し、我々が文明を持ち始めるのにはその半分も掛かっておらんようだな」
「そう、発展の速さにおいては新人類の方が上よ。それに我々は文明は持ったけど、文化は持たなかった」
「文化は持たなかった? どういうことだ?」
「我々は世の中の解明には全力を尽くしたけど、新たな物の創造には興味が無かった。貴方達は文字を始め、武具、建築物などあらゆる物を創造した。けど、我々はそういった物は殆どと言っていい程創らなかった。
例外と言えば、貴方が掲げている草薙の太刀位ね」
そう仰られ、神奈様の母君は柳也殿の腰を指差しました。
「この刀が、旧人類の造りしものだというのか!?」
「その刀は我が弟である須佐之男が鋳造し、姉君に献上したものよ」
須佐之男命が我が弟。やはり神奈様の母君のご発言は、ご自分自身が月讀命であるかの発言でございます。
「その太刀は全てを知り尽くした我々の、次なる夢の過程で造られたものよ」
「次なる夢? それはなんだ?」
「星の記憶を知り、継ぐことよ」
「何の為に?」
「私達は世の中の全てを知り尽くした。けど、それはあくまで自分達が過ごして来た刻のみ。我々が存在する前の世界、星の記憶と呼べるものは知り得ていなかった。
世の中を全て知り尽くしたからこそ、過去を知りたくなったのよ」
世の中の全てを知り尽くしても尚、自分達が生きていない時代の世界を知ろうとする翼人。その探求心は、私達とは比べ物にならない位深いのでしょう。
「数万年の時を掛けて、我々が存在する以前の星の記憶は判明した。その次に人類が目指したことは、過去と現在の記憶を受け継ぎ、未来の記憶を知り続けること。つまりは永遠を生きることよ」
「永遠を生きるか……。この世は諸行無常、永遠など存在せぬ」
そう、柳也殿の仰られるようにこの世に永遠などは存在しないでしょう。人は生まれ死に行くもの。それは他の生物も変わりない筈す。
「確かに命有る者に永遠はない。けど、石や鉄などの命無き者には永遠はある」
言われてみれば、確かに石や鉄などに死はございません。されどそれは同時に生が無いから。生があるからこそ死がある人に永遠を求めることなど、やはり不可能なことに思えます。
「本来無い命有る者の永遠。それを我々人類は求め続けた。そして二つの仮説に辿り着いたのよ」
「二つの仮説?」
「太陽の如き生命を輝かせること。そして月の如き生命を欠けては満ちさせること。姉君は前者の仮説を実証しようとし、この月讀は後者の仮説を実証しようとした。二人共自らの身体を用いてね」
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「自らの身体を用いてだと!?」
「そう、あらゆる知識を応用させ、自らの身体を改造した。その過程で生まれたのが天照力、月讀力と呼ばれるものよ」
「成程。この力がか……」
そう仰られ、柳也殿は草薙太刀を天照力によって宙に浮かせて見せました。
「そう、それは姉君が自らの遺伝子を改造して得た力。生きる者の治癒など生の力を極限にまで高めるだけではなく、生無き者すらも自らの力によりあたかも生を得た如き動きをさせる力。
もっとも、元々生の無い刀や陶器の再生などは出来なかった。そこで造られたのがその刀。その刀は生有る者と生無き者との中間的存在。天照力によってのみ再生が行える特殊な刀よ」
「成程な。草薙太刀が神器であるのも納得がいく」
「けど、最終的に姉君は永遠を手に入れることは出来なかった。天に輝く太陽にもいずれ終わりが来るように、天照力を持ちし者にも最期の刻は来る。この世界で最も永遠に近い力を手に入れた姉君ですら、己の身体を使っての永遠には辿り着けなかった」
「太陽の如き生命を輝かせることは失敗に終わったという訳か。ならば、月の如き生命を欠けては満ちさせることはどうなったというのだ?」
「結論から言えば成功よ。この月讀は姉君とは違う仮説により永遠を手に入れたのよ。この月讀こそがその確固たる証明……」
神奈様の母君のお言葉は驚きを隠せぬものでございました。つまりは、神奈様の母君こそ月讀命その人ということなのですから。
「成程。故に自らを月讀と称し、皇祖神天照を姉君と言っておったのか。然るにならば、どのような策で永遠を手に入れたのだ?」
「肉体は永遠に持ちはしない。けど、魂は永遠に存在がすることが可能なのよ。それならば、魂を老いた肉体から新しい肉体へ移し替えれば良いだけ。それがこの月讀が辿り着いた永遠よ」
それは、魂は月讀命その人であれど、身体は神奈様の母君ということなのでしょうか。
「分からぬ……。母君は母君ではないのか!? それとも月讀が余の母なのか……!?」
神奈様が困惑為さられるのも無理はございません。魂が月讀命だとしたなら、目の前にいらっしゃる方は神奈様の母君の姿をした月讀命となるのですから。
「この月讀は神奈を生みし者には間違いない。けど、この月讀に新人類が言う母の情というのは一切存在しないわ」
「母の情が存在せぬだと……!?」
そのお言葉に神奈様は愕然としました。ようやくお逢いになることが叶われた母君が、母の情を持っておられぬとは。それは神奈様ご自身が母君に対する情愛を持っているからこそ、絶望感が大きいものでしょう。
「そんな情は記憶を継ぐ障害でしかないからよ」
「障害!? 母の情を持つことが障害だというのか!!」
「そう、貴方が今この月讀に抱いた感情もね」
「なっ!?」
柳也殿が神奈様の母君に抱きし感情、それは恐らく怒りでございましょう。それは人ならば誰しもが少なからず持ちし感情でございます。その感情が記憶を継ぐのに障害になるというのでしょうか?
「喜怒哀楽といった人間の感情。それは記憶を継ぐにあたって最も障害となるもの。例えばある戦が起き、ある者は勝利し、ある者は敗北する。勝者にとってその戦は喜ぶべきものだけれど、敗者にとっては悲しむべきこと。
一つの戦においても勝者に立つか敗者に立つかで見解がまったく変わってくる。記憶というものを後世に受け継ぐには、そのどちらの立場にも立てない。どちらかの視点に立った時点で、その記憶は偏ったものとなるのよ。記憶を正しく受け継ぐにはどちらの視点にも立たず、どのような戦が起き、どちらが勝利しどちらが敗北したなどの客観的事実さえ記憶出来ればそれでいい。
そして、感情は客観的立場から判断するのに最も邪魔なもの。感情を持った時点でそれは主観となる。だからこの月讀は記憶を正しく受け継ぐ為に感情を捨てたのよ」
「然るに、然るに母君……。人ならば感情を持っていて当たり前なのではないか、感情を無くしたらその者は既に人間ではなくなるのではないか……?」
「星の記憶を受け継ぐのに人間である必要はない。ただ記憶を客観的に受け継ぐ者であればいい。故に神奈、貴方を月讀宮に隔離していたのよ。外に出、必要以上に人と交われば感情は自然と涌き出るもの。そして母と共に過ごせば母に対する情を持ってしまうもの。
けど、神奈、貴方はやはり感情を持ちし人との間に生まれし子。貴方は星の記憶を受け継ぐ者としては完全な失敗作ね……」
「……………」
神奈様はそれこそ感情を失われた如く言葉を失いました。月讀宮に住まわされていたのも、母君と離れ離れに暮らされていたのも、すべて人間としての感情を持たないようにする為。
されど、神奈様はそのようなご生活の中で感情をなくす所か、ますます母君に対する情を高めていたのでしょう。
「人の感情を失ったが、その対価として人ならば誰しもが望む永遠を手に入れたか。感情を捨ててまで永遠を得たいと我は思わぬがな。
然るにこれで翼人はすべてを手に入れたといっても過言ではないな」
「いいえ、まだ手に入れていないものがあるわ」
「ほう、永遠を手に入れてもまだ手に入れられないものがあるというのか?」
「古き記憶を手に入れ、未来の記憶を知る術も確立した。けどまだ、この星の外の記憶、宇宙の記憶は手に入れられていない……」
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「宇宙の記憶……!?」
「そう、空に浮かぶ太陽や月、そして数多の星々は、この大気と大地に囲まれた空間の外、宇宙に広がっている。
しかし、翼がない人類は大気を突き破り宇宙へ出ることは叶わなかった」
それは星を手で掴もうとする行為と同じなのでしょうか? 夜になると空に広がりし満天の星々。それらは目には見えれど、手に取ることは叶いません。
私達より遥かに秀でた知識を持っている翼人だからこそ、より星を手に取ってみたいと思ったのでしょう。
「宇宙へと羽ばたき、月や星々を直に見てみたい。そう思ったこの月讀は、今度は自らの身体に羽を移植したのよ。つまりこの羽は大気を突き破る目的の為造られた羽」
だからなのでしょうか。私が神奈様の羽を見た時、人の手により造られし美しさを感じたのは。
「母君は行けたのか? 大気の外に広がりし宇宙へ」
「いいえ、行っていないわ。この月讀は羽を手に入れたけど、未だ大気を突き破るどころか空を飛ぶことさえ出来ない。この羽は飛べない羽。新人類はこの月讀を翼人と言うけど、翼人など名ばかりの存在よ」
「母君も飛べぬのか。やはりこの羽は飾りに過ぎぬのか……」
「いいえ、代を重ねればいつかは飛べるようになる筈よ。この月讀が羽を持ってたかだか数千年。それだけの刻では進化もままならない。百万、一千万、それだけの刻を重ねれば空を飛べるようになれるかもしれない」
百万、一千万年。それは旧人類と呼ばれし人達がこの星に誕生して今に至るまでの刻より遥かに長き刻。人が自らの刻で空を飛べるようになるにはそれだけの時間が掛かるのでしょうか……?
「身体の遺伝子を改造すればもっと早く空を飛べるようになれるかもしれない。けど、羽を移植すること、そして移植した羽が馴染むのすら容易ではなかった。無理な遺伝子改造は身体に多大なる負担を与え、それにより人類は次々と数を減らして行った。そしてこの月讀が最後の人類となったのよ。
もう失敗は許されない。だから、無理な遺伝子改良ではなく、時間を掛けた進化に頼るしかないのよ」
「最後の人類……、余は母君とは違う存在なのか……?」
「ええ。新人類と交わり生まれただけで、既に純粋な人類ではなくなっているのよ。
貴方は純粋な人類ではない。けど、そんな貴方しか星の記憶を継げる者はいないのよ。神奈、この月讀の記憶を継ぎなさい。そうすればこの月讀にも母の情というのが生まれるかもしれない――」
巻十一完
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※後書き
約2ヶ月振りの新作ですね。作品自体は先月末から執筆していたのですが、途中でネタに詰まってしまい、暫く放置しておりました。
さて、今回は基本的に作中のオリジナル設定を話す回と言っても過言ではないですね。全体的に説明台詞が多いので、物語の抑揚はあまりないかもしれません。
原作における翼人は超越的な存在ですが、この作品における翼人はネアンデルタール人などの所謂旧人です。そして羽も最初から生えていたものではなく、実験の過程で移植したものとしてます。
こういった設定にしているのの理由としましては、超越者の否定ですね。翼人は一見超越者のようですが、今の人類より長い時間を掛けて世の中を解明しただけだったりしますし。
旧人と呼ばれる人類は今の新人並みの知能を持っていたという話を聞いたことがあるので、もし彼等が新人のように世の中を解明しようとしたら? という過程で今回のような設定が生まれました。
それと古い身体から新しい身体に魂を移し替えるという設定は、麻枝准氏原作の『ヒビキのマホウ』を参考にしました。この作品は「AIR」のルーツに当る作品だとの話もありましたので、設定自体を使うのは特に違和感はないと思います。
さて、話自体はあと4、5話で完結する予定です。もう少しでゴールなのであまり滞らないように執筆したいものです。
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巻十二へ
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